一人で電車に乗ってる小学一年生を見て感じるもの

小学生が一人で電車に乗ってるのを見ると「こどもって社会に育てられてるなぁ」と感じる。

ランドセルに黄色のカバーをつけた小学一年生が、電車で不安そうに周りをキョロキョロしている姿は、まわりの大人に「なにかあったら助けてあげなきゃな」と思わせちゃう。

ぼくも思う。誰か変な人がこの小学生に絡んできたら、間違いなく助けてあげる。道に迷っていたり、降りる駅が分からなそうにしていたら「どうしたの?」と声をかけてあげたいと思う。

と同時に、ぼくがこの小学1年生に変なことをしたら、まわりの大人が口を出してくるはずだと考える。もちろんぼくは小学一年生に変なことをするつもりはないですが、仮に変なことをしようとした時、それを躊躇わせる雰囲気みたいなものが、電車のなかにはただよってる。

これは電車だけに限らない。近所の公園や、コンビニ、映画館など、こどもは守られている。本人たちは全く気づいてないでしょうが、確かに社会の大人達が守ってやろう、という雰囲気を出してる。ぼくも子供の時はそんなことに気づいてませんでした。ある程度年食ってから子供を見た時に、なにかあったら助けてあげたいな、と思ったことから気が付いた。

子供は社会に育てられてるなぁ。。。自分も社会で育てられたんだなぁ、としみじみと電車のなかで感じてた。「こどもを育てるのは親だけだ」、と思いがちなんですが、社会の力というのは思ったよりも大きい気がする。子供を育てているのは親6割、社会4割くらいでしょうか。

そんなことを考えていたら、小学生の時やたら健康診断があったことを思い出した。一ヶ月に2回くらいあった気がする。歯科検診、内科検診、予防接種、耳鼻科検診、etc…. ほとんどの小学校は公立なので税金で運営されている。税金は社会の大人たちによって集められたお金。社会の力でこども達の健康管理を徹底している。小学校に行かせるのは義務だから、日本に住んでいるこどものほぼ全員が徹底された健康管理のもと、育っている。日本すごい。家庭で見落とされるかもしれない子供の体調不良を社会の力でカバーしようとしている。忙しくて病院に連れて行ってくれない親のもとに生まれた子供でもこの制度で助けられている。

A0780 000876

「こどもは宝」なんてよく言うけど、宝どころじゃない。ぼくは宝石みたいな扱いをしてくれてたな、と今思う。給食や、健康診断などはもちろん税金で賄われている。ぼくが小学生の時はサッカーをしていた。ぼくが入ってるサッカーチームのコーチたちはボランティアだった。お金をもらってないのに、サッカーの技術を教えるのは勿論、人間教育もしてくれた。

子供を育てるのは親6割、社会4割、という話にもどるけど、本当にそうだと思う。こどもは社会に育てられている。「このことを分かってない人はどうなの」、と感じてしまう。自分のこどもは自分のちからだけで育てた、とか考えてる人は大きな間違い。親が自分の子供を育てる責任の大部分を担っているのは間違いないんだけど、社会の大人たちに育てられている面も凄く大きい。

ぼくなんか国立大学にかよっているので、生きていてこれまで税金の恩恵を受けてきてしかいない。税金を払ってる額と受け取ってる額を比べたら、断然に受け取ってる額のほうが多い。

そういうふうに考えると、ちゃんと恩返ししなきゃな、と思う。今まで散々与えられてきたんだから、その倍くらい与えてあげなきゃな、と。社会のあしながおじさんの一人として、未来を担う下の世代に少しでも貢献したいな、と。凄く抽象的で浅いけど、最近まじでそう思ってる。

「頑張ろう」という闘志が湧いてくる。電車に一人で載っている小学一年生をみて「子供って社会に育てられてる」って感じて、「そういえば自分も社会に宝石のように扱われて育ってきたな」と思って、「今度は自分が助けてあげる番だ」と感じました。

 

では。

 

カテゴリー: 雑記 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。