学校に国語という科目がある訳

今日は国語力について。

僕は小学生の時から国語が超苦手だった。他の教科はある程度勉強すれば、点数が伸びるけど、国語だけは別だった。
そもそも何故、国語の勉強をしなければならないのか、分からなかった。こんな問題ただの運ではないかと。本を読めば伸びるというけど、本当かよ、と。

高校生になって、理系だけど受験の為に国語から目を背けられなくなってきた。今まで、適当に流して平均ちょい上くらいの点数を取り続けていたんだけど、国語がもっと出来るようにならないと、志望校への合格は難しい状況だった。

かなり一生懸命勉強した。なにをやれば良いか全く分からなかったから、とりあえず先生の言うことを素直に実行した。
でも成績は一向に伸びなかった。マジで悩んだ。能力のせいだと、半ば諦めていた。

そんな時に、何故「国語」という教科が、学校にあるのか、受験にあるのか、ということを改めて考えてみた。
そしたら分かった。国語って「あなたは日本語を正しく使いこなせますか?」を問うテストなんだと。
そうやって考えると、国語の点数が採れない人は、日本語が正しく使えない人になる。ということは、国語の点数が採れない僕は日本語が正しく使えない人なんだ。このように考えたら、なんだか猛烈に恥ずかしくなってきて、なんとしても成績を上げてやろうと、今までの倍のやる気が出た。

結局、ある程度まで僕の国語の偏差値は伸びたけど、トップ層には全く適わない状況だった。

国語が「日本語を正しく使えるか否か」を測るテストだと、考えたきっかけは、世界の識字率について考えたことだった。

日本は依然として識字率、文字が読める能力は、99パーセントと世界で最も高い。日本にいると文字が読めることは当たり前のように感じるけど、発展途上国にいると、ペラペラと喋っているのに文字が全く読めないという人が多くいる。日本人の識字率を支えてるのは間違いなく学校で教える、「国語」。
国語という科目の原点は間違いなくここ。みんなが文字を読めるようになりましょう。それが一番ベーシックな事。
その発展として、表現のしかたや、難解な論述分や小説の読解、漢字の読み書き、古典、などを学ぶ。
論述分や小説文の読解によって得られる、文章を読む力というのは、将来何かしらの分野の勉強を自分でするときに必要。
表現のしかたや、接続語の使い方などは、こうやってブログで文章を書くときや、プレゼンで発表するときなどに大事になってくる要素。
古典は先人が残した文献を読めるような人材を一定数確保するために、勉強させられるけど、歴史から学べることは多いから、これもまた重要。

今考えると、国語の勉強ってすごく大事だったのだなと感じる。
小学生の時からもう少し身を入れて勉強すれば、豊かな表現力がついたのかなぁ、と少し悔やむ。

またあした!

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