雑記

分け合うことは良いことだ

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最近分け合うことの重要性について良く考える。

僕は今まで分け合うことはあまり良いことだと考えていなかった。

小学生の遠足に行った時に、みんながお弁当やらお菓子やらを分け合っているのを見ていて、「なんでこんなことをするんだろ?」って思っていた。自分が与えられるもの以上の物を人に与えられる気がしなかったから、貰うことを拒んでいた。

例えば、友達は豪華なシゲキックスをなにも見返りを求めないかのように僕にくれていたげど、僕はせいぜいガムとか雨とか蒲焼屋さんとか、シゲキックスより劣るものでしかお返しができない。僕は友達に何かを与えられて、「お返しをしなきゃな」と考えることが苦痛だった。だから、僕は友達に、僕と同じように感じてほしくないから、お菓子を分け合ったり、ご飯を分け合ったりすることを避けていた。

そんな考えを持っていた僕だから、友達とは分け合うという具体的な行動で、仲の良さを感じるということはなかった。けれど、たまに与えられた時は凄い幸せな気持ちになった。僕がそいつに何かを与えたことなどないのに、さも当然のように、超自然に他人にシェアできる友達も何人かはいた。
中学生の時、部活でちょっと遠くまで試合に行き、夜の9時くらいまでやっていて、僕は腹ペコだった。自分で飯を買うお金もなく空腹に耐えていた僕に、一緒に帰っていた友達がパンを半分くれた。本当に嬉しかった。あまりそいつのことは好きではなかったんだけど、この一件で大好きになった。そのパンは値段で言うと50円くらいなのだろうけど、僕からすると10000円を貰ったような感覚だった。

別の友達は6人くらいでマックに行った時に、僕にポテトをくれた。あのいっぱいあるポテトの一つに過ぎないんだけど、凄く嬉しかった。中学生くらいだと、自分がポテトを買うと、周りの友達に悪ふざけでほとんど喰われてしまう。まわりに食べられて自分があまり食べれなかった経験をすると、ほとんどの中学生は「もう誰にも上げない。歯止めが効かなくなるから」と思い、他人に分け合うことを躊躇する。でも、その友達は違った。お金がないからなにも買わなかった僕を見て可哀そうと思ったからなのか、ただ当然のことをしたまでと思ったのかは分からない。ただ僕にはその友達の器が富士山のように大きく感じた。

大学生になってからの友達とは、分け合うことについて議論した。
僕は依然として分け合うこと、タダで友達に何かを与えることに否定的だった。その友達は、分け合うことによってより仲が深まると主張した。
恋人同士が誕生日にプレゼントを贈りあったり、友達同士でも奢ったり奢られたりを繰りかえることによって、より絆が深まると友達は言った。
僕は値段が釣り合わなかったらどうするのか。自分の方がお金を出していたら、損した気分になるし、相手の方が負担が大きかったら、申し訳のない気持ちになるから、あまり良くないのではないか、と僕は言った。そう、僕はかなりのケチだった。
でもその友達はどちらの方が負担が大きいとかそもそも考えない、と言った。分け与えることは絶対に良いことだと断言した。
この時は平行線のままだったけど、後に僕は友達の考えが正しいということに気付く。

そのきっかけとなったのが、4年になって入った研究室でいっしょだったトルコ人だった。
彼が気が付かせてくれた。彼の分け与える精神は僕が今まで接してきた日本人とは比べものにならないくらいに、レベルが違った。
自分がコーヒーを入れるときには僕がその場に入れば、必ず入れてくれる。勿論彼が自費で買ったコーヒーだ。
バナナも良くくれる。バナナが何本かある時は一本そのままくれるんだけど、バナナが一本しかない時があって、どうするのだろう?と少し引いて考えていた。そしたら彼は「この一本のバナナを三人で分けよう」と言い、僕と彼と、研究室が同じインドネシア人と三人で、一本のバナナを順番にちぎりとって食べた。一本のバナナを無理して三等分して食べたのに、バナナのおいしさは三倍だった。凄く幸せな気持ちだった。
議論した友達が主張していたのはこういうことだったのか、感慨深い気持ちになった。

僕はいまはっきりと言える。分け与えることは善だと。
自分が他人に何かを与えると、必ず倍返しになって自分に返ってくるものだと思う。倍返しされたら、また倍にしえ返してやれば良い。相乗効果で互いが超ハッピーになれる。

僕はこれから留学するんだけど、言葉でのコミュニケーションがうまくいかない場合では、分け与えることの重要性が更に増すと思う。

大事にしていきましょう!







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