勘違いな議論。

 大学生になって、友達とあれこれ議論するなかで、思ったこと。
 議論っていうのは、何かを決定するためにするものであって、意見を戦わせるためにするものではない。
 AかBかそれともCか。話し合って、チームにとって最も意義のある結論を出すために議論する。決して自分の考えを納得させるために議論するのではない。
最近やっと、このことに気が付いた。
 今までは,「自分はこう思ってんだけどどう思う?」って友達に持ちかけて、それを納得してもらうために、反論、疑問に対応していくことが議論だと思っていた。
 そんなのは全然違った。今までのはただの意見表明。
 まず、自分が正しいと思っていることを相手は納得してくれるはずだ、、という前提を勝手に自分の中に置いていた。そんなの傲慢以外のなにものでもない。さらに、議論の目的が相手に納得or尊敬を浴びることによる優越感だった。昔は全く気が付かなかったけど、今ならはっきりと認めることができる。本当に最悪。今まで僕に熱く語られて、不快感を感じてきた人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 でも、自分の考えを表明することは全く悪いことだとは思わない。それが納得されないのが当然だと考え、押し付けがましく食い下がらなければ。自分の意見を言うことは、自分という人間をより理解して貰うために、絶対に必要なことだと思う。
 自分の考えを表明した時に、「君は面白い考えを持っているね。僕は君とは違うけどこう考えてるんだ」っていう反応が来たら、お互いの意見を理解して尊重できる気持ちの良い会話になると思う。しかし時には、「それは違う。なぜなら~だからだ」と反応してくる人がいる。その意見が自分の考えを深めるために役立つことは多いに有り得るが、全く納得出来なくて「は?」となることがある。少し説得してもダメそうだったら、「そうだね。僕の考えは間違ってた。君が正しいよ」と、心の中では認めていなくても、相手に優越感を与えて気持ち良くするために、わざと譲るのが最善だと思う。もしそんな言葉が吐ける心の余裕がなかったら、「この話はもうやめよう」と言うのもありかもしれない。間違ってもその反論に反論をかぶせ続けて、泥仕合に持ち込むことをしてはいけない。根本的な考えというのはそんなに簡単に変わるものじゃない故に、お互いが満足できる会話になる確率は格段に低いから。相手に不快な感情を与えるくらいだったら、自分が持って帰るほうがよっぽど良い。

今までの、「自分の考えを相手に話し、納得&尊敬してもらうために、反論&疑問に対応し続ける。」というのを議論だと思うのはただの勘違い。これはただの意見表明に過ぎない。議論というのは、例えば仕事で、家族で、友達で、何かを決定するために行う話し合いのことを言う。結論(決定)が求められない話し合いは議論とは言わない。

 

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